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枕草子

枕草子

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2021/06/06

21:14

隣の部屋で、かなりの身分らしい男が、たいへんひっそりと額をつけて礼拝している。 立ったり坐ったりの様子もたしなみがあるように聞こえる、その人が、たいへん思いつめた様子で、寝もしないで勤行するのこそ、ひどく身にしみじみと感じられる。 礼拝をやめて休息する間は、お経を声高には聞こえぬほどによんでいるのも、尊い感じがする。 高い声を出してよませたいのに、まして鼻などを、はっきりと、聞いて不快感をおぼえさせるようにではなくて、少しこっそりかんでいるのは、何を思っているのであろう、その願い事を成就させたいと感じられる。 幾日もつづいて籠っていると、昼間は少しのんびりしたもので、以前は、あった。 下にある坊さんの宿坊に、供の男たちや、子供たちなどが行って、わたしはお堂の部屋で一人で所在ない気持でいると、すぐそばで、法螺貝をたいへん高く、急に吹き出したのこそ、思わずびっくりする。 きれいな立て文を供の者に持たせた男が、誦経のお布施の品をそこに置いて、堂童子などを呼ぶ声は、山がこだまし合って、きらきら輝かしいまでに聞こえる。 誦経の鐘の声が一段と高く響いて、この誦経はどこのお方があげるのだろうと思って聞くうちに、お坊さんが高貴な所の名を言って、お産が平らかであるように祈禱するのは、むやみに、お産の安否がどうだろうかと、不安で、仏に祈念したい感じで......。 しかもこうした程度の昼間のさわがしさは、普通の時の事であるようだ。 正月などには、ひたすら物さわがしく、何かの望み事の立願などする人が、絶え間なく参詣するのを見る間に、勤行もしおおせない。 日が暮れるころに、参詣するのは、お籠りする人であるようだ。 小坊主たちが持ち上げられそうもない屏風などの丈の高いのを、たいへん上手に前後に動いて運んで、畳などをポンと立てて置くと見ると、すぐにお籠りする人の部屋にあらわれて出て、犬防ぎに簾をさらさらと掛けて部屋作りをする手順は、非常によく馴らしていることよ。

2021/05/30

18:04

わたしが裳の掛け帯を肩にうちかけて御本尊を拝み申しあげていると、「御用うけたまわりの者です」と言って、樒の枝を折って持って来ているのなどの尊い様子も、やはりおもしろい。 犬防ぎの方から坊さんが近づいて来て、「御立願の筋は十分仏にお願い申しあげました。幾日ぐらいお籠りあそばす御予定ですか」などとたずねる。 「今これこれの お方がお籠りあそばしています」などと、こちらに話して聞かせて立ち去るとすぐに、火鉢や果物など持って来、持って来て貸してくれる。 持って来た物としては、半插で手洗いの水など入れて、その水を受ける手なしのたらいなどがある。 「お供の方は、あちらの宿坊でお休みください」などと言って、坊さんが、どんどん呼び立てて行くので、供の者は交替で宿坊ヘ行く。 誦経の鐘の音を、「どうやらあれは自分のためのであるようだ」と聞くのは、頼もしく聞こえる。

18:04

お籠りの部屋に行く間も、人が並んで坐っている前を通って行くので、ひどくうとましい感じがするのに、それでも犬防ぎの内側の内陣をのぞいた気持は、非常に尊く、「どうしてここ幾月もの間お参りしないで過ごしてしまっているのだろう」と思われて、何より先に信心の気持を自然におこすようになる。 仏前の御燈明の、常燈明ではなくて、内陣に別に参詣の人がお供え申しあげてあるのが、恐ろしいまでに燃えているのに、本尊の仏さまが金色にきらきらと光ってお見えになっていらっしゃるのが、たいへん尊いのに、坊さん方が手に手に参詣人の願文をささげ持って、礼拝の座に向ひてろきちかふも、あれほどまでに堂内が大勢の張りあげる祈願の声でいっぱいに揺れ動くので、これはだれの願文と、一つ一つ取り離して聞き分けることもできないが、坊さん方が無理にしぼり出している声々が、そうは言うもののまた他の声にまぎれないで、「千燈のお志は、だれそれのおんため」と、ちらっと聞こえる。

18:03

奥向き、外向きなどすべて出入りを許されている若い男たちや、縁辺の子弟などが、後にまたずっとつづいて、「そこのあたりは低くなっている所でございますようです。そこは高くなっている所・・・」などと女主人に教えながら行く、何者だろうか、女主人にひどく近寄って歩いたり、先立ったりする者などがあるのを、従者たちが「しばらく待て。高貴なお方がいらっしゃるのに、こんなには近寄らないことだ」などと言うのを、「なるほど」といって、少し下がって歩く者もあるし、また、耳にもとめないで、「自分が、だれよりも先に早く仏のおん前に」ということで、行く者もある。

18:03

自分がのぼるのは、ひどくあぶなっかしくて、わきの方に寄って、高欄につかまって行くものを、あの若い坊さんたちはまるで板敷などのように思っているのもおもしろい。 坊さんが「お籠りの部屋の用意ができている」などと言って、いくつも履き物を持って来て、わたしたちを車からおろす。 着物の上の方に裾をはしょりなどしている者もある。 裳や唐衣などを四角ばって着飾っている者もある。 深沓や半靴などをはいて、廊のあたりなどを、沓を引きずってお堂にはいって行くのは、宮中あたりのような感じがして、またおもしろい。

18:02

124、正月寺に籠りたるは 正月に寺に籠っているのは、ひどく寒く雪も降りがちに冷えこんでいるのこそおもしろい。 雨などが降って来てしまいそうな空模様なのは、ひどくよろしくない。 初瀬(清水きよみず)などに参詣して、お籠りの部屋などの準備ができる間は、くれ階のそばに車を引き寄せて立っていると、ちょっと帯ぐらいをつけた若い坊さんたちが、足駄というものをはいて、全然平気で、そのくれ階をおりのぼりするといって、これときまった事もない経文の片端を口にしたり、倶舎の頌を少し唱えつづけて歩きまわるのこそ、場所が場所だけには、おもしろい。

2021/05/23

13:36

13:36

(荒れている家に葎が這いかかり)

13:32

葎が這いかかり、蓬などが高く生えている家に、月が照らさぬ隈もなく明るいの。 ひどく荒っぽくはない風が吹いているの。

13:30

123、あはれなるもの 心にしみじみと感じられるもの、親の喪に服している子。 鹿の鳴く音。 身分のよい男の若いのが、御嶽精進をしているの。 出て坐っているであろう明け方の礼拝など、しみじみとした感じがする。 親しい人が、目をさましてそれを聞いているのであろうのを、想像する。 さていよいよ参詣する折のありさまは、道中無事にお参りできるか、どうだろうかと身をつつしんでいるのに、平安に御嶽に参着したのこそは、たいへんすばらしいことだ。 烏帽子の様子などは、やはり体裁が悪い。 やはり、身分の高い人と申しあげる場合でも、格別粗末な身なりで参詣するとこそわたしは承知しているのに、右衛門の佐宣孝は、「つまらない事だ。ただ清浄な着物を着て参詣しようのに、何事かあろうか。必ずまさか『身なりを悪くして参詣せよ』と御嶽の蔵王権現はおっしゃるまい」ということで、三月の末に、紫のとても濃い指貫に白い狩衣、山吹色のひどく大げさな派手な色の袿など着て、息子の隆光の主殿の亮であるのには、青色の狩衣、紅の袿、乱れ模様を摺り出してある水干袴を着せて、連れ立って参詣していたので、御嶽から帰る人も、これから参詣する人も、珍しく奇妙な事として、「全く、この山道にこんな装束の人は見られなかった」と、あきれ返ったのを、四月の末に帰って、六月十日余りのころに、築前の守が亡くなってしまった代わりにちゃんと任官したのこそ、「なるほど、言ったということにたがわないことよ」と評判だった。 これは「しみじみとした事」ではないけれども、御嶽について言ったついでである。 九月の末、十月の初めのころ、ただ鳴いているか、いないかわからないほどに聞き分けたこおろぎの声。 鶏がひなを抱いて伏しているの。 秋の深い庭の浅茅に、露がさまざまの色に玉そっくりで光っているの。 河竹が風に吹かれているタ暮。 明け方に目をさましているの。 夜なども、万事につけて。 愛し合っている若い人の中に、間を邪魔する者があって、心にもまかせて逢えないの。 山里の雪。 男も女も清らかに美しくない人が、黒い着物を着ているの。 二十六、七日ぐらいの明け方に、話をして坐ったままで夜を明かして外を見ると、あるかないかの姿で心細げな月が、山の端近く見えているの。 秋の野。 年をとっている僧たちが、勤行しているの。 荒れている家

12:08

12:07

119、絵にかきておとるもの 絵に描いて実物より見劣りするもの、なでしこ。桜。山吹。物語ですばらしいといっている男女の容貌。 120、かきまさりするもの 描いて実物よりまさって見えるもの、松の木。秋の野。山里。山路。鶴。鹿。 121、冬は 冬は、ひどく寒いのがいい。 122、夏は 夏は、世に類もないほど暑いのがいい。

2021/05/12

15:36

15:36

118、常よりことに聞ゆるもの ふだんより特別な感じに聞こえるもの元日の車の音、また、元日の鶏の鳴き声。 暁の咳ばらい。 暁の音楽はいうまでもない。

15:35

2021/05/11

17:05

117、湯は 湯は、ななくりの湯(三重県久居市榊原町にある温泉。「一志なるななくりの湯も君がため恋しやまずと聞くは物うし」夫木抄)。 有馬の湯。(神戸市兵庫区有馬町の温泉。「あひ思はぬ人を思ふぞ病なる何か有馬の湯へも行くべき」(古今六帖・第四)。) 玉造の湯。(宮城県玉造郡鳴子町にある温泉。)

17:05

17:04

116、卯月のつごもりに、長谷寺に 四月の末ごろに、長谷寺に詣でて、話に聞いていた淀の渡りというものをしたところ、舟に車をかついで乗せていくのに、菖蒲、菰などの先が短く見えたのを、取らせたところ、とても長いのだった。 菰を積んでいる舟のある岸こそ、非常におもしろかった。 「高瀬の淀に」という歌は、 「菰枕高瀬の淀に刈る(「離る」を掛ける)とも我は知らで頼まむ」高瀬は淀川に沿う守口のあたり。 これをよんだのだったようだと見えた。 三日という日に帰るのに、雨がひどく降ったので、菖蒲を刈るということで、笠の小さいのをかぶって脛がとても高い男や子どもなどがいるのも、屏風の絵に、たいへんよく似ている。

17:03

17:03

115、森は 森は、大荒木の森。しのびの森。児恋の森。木枯の森。信太の森。生田の森。木幡の森。うつ木の森。きく田の森。岩瀬の森。立ち聞きの森。常磐の森。くろつぎの森。神南備の森。うたたねの森。浮田の森。うえつきの森。石田の森。たれその森。かそたての森。かうたての森というのが耳にとまるのこそ、なにはともあれ、妙なものだ。 森などといえるはずもなく、ただ木が一本だけあるのを、何につけて森というのだろうか。

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